| 文章について指摘されることがあるが、これは小、中学生から内容が難しいと言われている事と、直接アドバイスとして話し掛けてる雰囲気を味わってもらいため、わざと口語言葉を入れながら書いている部分があります。ご了承ください。 |
逆三角関係解説図
逆三角関係 修羅場???の展開へ 三角関係はわかるよね。たとえば、AさんとBさんは友達でAさんはCさんと付き合っている。実は、BさんもCさんのことが好きである。これが一般的な三角関係だよね。では、その反対があるということ知っている?AさんとCさんは付き合っているが、Cさんは本命のBさんがいる。これでもまだまだ普通の話。この関係は、CさんはBさんのことを前から狙っていて、Aさんはそのことを知っていて自分の都合でCさんを口説く。Cさんは彼氏(彼女)がほしかったのでOKする。もちろんAさんはCさんの本当のことを知っているのでBさんのことを恨む。これで三角関係の矢印が逆になったよね。これは3人とも前から関係があるわけ(友達)ではない。恋愛によってできた関係である。
逆三角関係解説図
実際、学校の場合こういうことがある。ある学校に超イケメン(男)Bさんが入学してくるとする。女Cはその人に一目惚れするが、距離はすごく離れていて話も近づくこともできない。そういうとき男Aはどういう反応をするか。何がイケメンだ、オレの方がカッコいいなんて思ったりする。特にチャラ人間や地元主義。そういうときにあいつに惚れている女をGetすればオレはあいつより上だ、なんて思う。それで上に書いてあったことを実行する。
どう?この恋愛関係。聞いたことあります?ではこのカップルのデート状況は???
もし、たまたまこのカップルが下校するとき、バスor電車がBさんと同じになってイケメンBさんがひとりでいた。女Cさんはもちろん近づくチャンスだと思う。彼に相談する。「ちょっと話しかけてみて」彼Aは仕方なくBさんに話しかける。彼女は興奮する。だって本命と話ができるのだから。結局、この日のデートの楽しさは、初めて本命と話ができたことである。
本当にBさんが芸能人やスポーツ選手になるような人だとあきらめがつくが、基本的に暮らしている人だったらチャンスはある。本命をGetできることはいいことである。そして逆三角関係というのが存在するようになる。しかし、本命がいるにもかかわらず他の人と付き合うの行為は気持ちが二股になっている。ナンパをされて相手がしつこく、告白されてしょうがなく付き合うのはいいが、自分から違う人に告白して付き合うのはおかしい。それでも気持ちに二股かけている人は多いと思う。心の中は自分しかわからないのだから。
縁と運命の作り方 縁と運命と言うのは、どこで出てくるのか分からない。だからといって待ってくるものではないし、自分で追いかけてくるものではない。わたくしもアドバイス書きをするときに、「これは縁がなかったかもしれない」と書くときがある。だが、縁や運命と言えるまである程度の行動は必要だと思う。アドバイス書きするときもそういうことを前提として書いている。ではどういうことなのか。
わたくしは、縁や運命は結果論と考えている。ところがすべてそういうことで決め付けていいのか。いい縁や運命だったならそのままの状態で満足はするが、とってもいい人だったのにどうしても会えなくなってしまったとか、自然な流れで人間関係が終わってしまった場合、自然な流れでこうなる前に自分で何かアクションを起こすことができなかったのではないかと考える。学校の卒業もそうである。特に一度も話をしないまま、別れがきてしまって一生会えない状態になってしまった場合。これは今まで片思いで終わってしまう人がこのパターンだと思う。そういうときにあそこで声をかけておけばとか、告白しとけばよかったとか、あそこでもっと仲良くなっておけばとか、いろいろあると思う。ところが、そういうこともせずに自然な流れで何とかなるだろうと思っているから、いざ会えなくなると後悔する。そしてそこで勝手に縁がなかったと思うのである。
縁や運命を求めるには、本当にただの運だけではなく、自分の行動にもカギになっているかもしれない。そこでこういう行動をしたから、たまたまある人と出会って、とんでもない展開になり、理想へと進んでいったということもあるのではないか。再会ということもある。当時はあまり仲がよくなくても、再会したことによって仲良くなることがある。そしてそれが運命の人となり、結婚することもある。やはり行動をしなくては縁や運命をつかむことができない。行動しているにもかかわらず、偶然がないというのはやっぱりある人との縁がなかったのかもしれない。
わたくしの場合は、いろいろな人間と関係があっても、お互いの行動はしっかりしているので本当に自分と共通する時間でないと会えないことが多い。その中でも偶然でいいから何回も会えたり、話しができたりするならいろいろな展開をしていくと思うが、なかなかそうもいかない。それでもう会えなさそうな状態になると、やっぱり縁がなかったのかなと思う。ところが、わたくしはいろいろな行動をしているともう会えないと思っていた人でも再会することがある。その中でもあの時声をかけとけばというのはあるが、自分の生活と合っていないのであれば、やはり縁がなかったのかと思ってしまう。いくらいい人間関係でもお互いの環境や進むべき道によって離れ離れにならざる得ないことがある。これもやっぱり縁かなと思ってしまう。これを現実に変えるなら相当な覚悟をもって相手の環境へ飛び込んでいかないといけない。ところがそれが絶対成功するとは限らない。それで人生を不意にしてしまったら意味がない。
やはり縁や運命はある程度のところまでは自分で何とかできると思う。ところが、その中で何か自然と離れてしまったとか、お互いの都合で環境が違ってしまったのなら、これは縁や運命として受け入れなければならないのではないか。それでも諦められない恋があって1%でも確率があるなら、相手に直接アタックするのではなく(場合による)、何か行動してみてください。遠回りしていても何かの偶然で再会するかもしれません。そしてそれが意外な展開になったのであれば、それが本当の運命かもしれません。 2005/10/5 (Wed)
スピード恋愛 恋愛の中でもスピードというものがある。全員がマイペースで理想的な恋愛ができるのであればそれでいいのだが、もし自分に好きな人ができたときライバルがいたらどうなるであろうか。自分のペースでアプローチしていたらライバルに取られてしまうかもしれない。今回ここで挙げるスピード恋愛と言うのは、片思いから別れまでの間、それぞれの展開スピードがあると思う。そして惚れる側も惚れられる側も恋愛能力があれば展開スピードも早い。そこを検証してみたい。
まずある人が誰かを好きになったとしよう。そして交際をしてみたいと思う。その時に自分からアピールしてGETするまでのスピードがあると思う。そこが早くないと別の人に取られてしまうかもしれないし、ある期間の出会いだと(学校等)、その期間が終わってしまいもう会えなくなってしまう可能性がある。
片思いが本命にアピールする方法論については他のところにもたくさん書いてあるが、ここで言いたいのは恋愛偏差値の高い人ほどすべての展開のスピードが早いと言うこと。恋愛上手というわけではないが、アピールの仕方でも効率のよいインパクトのあるやり方で相手を口説いていき、相手との距離を縮め告白へ持っていくのである。このサイトの方法論を使っていけば、人と状況によって3ヶ月かかるものでも1ヶ月で完了できる。無駄なものは一切除いて、本命と距離をどんどん近づいていくのである。
特に好きな人が恋愛偏差値の高い人だと、アピールをしたときに気づいてくれて自分が言いたいことも簡単に言えるようになり、アプローチがどんどん進んでいくようになるだろう。そうすれば自分では3回話しかけないとアピールできないようなことでも1回でアピールできるようになるかもしれない。
交際後も同じである。交際の展開スピードは人それぞれかもしれないが、ダラダラ愛し合っているのか愛し合っていないのかわからない状態で付き合うより、早いうちに早く相手のことを理解してラブラブになりどんどん幸せになっていった方がいい。だからデートも10回デートして関係が進展するより、1回のデートでお互いのことが理解していくようなデートの方がいい。何回デートしてもマンネリ化しているということは、それほど愛し合っていないということではないか。愛し合っていないということは、他にほかの人が現れたとしたら奪われてしまう可能性もあるということではないか。それではただの時間と金のムダ使いである。
わたくしの場合、逆三角関係があると相手側の付き合っている側は、何日たってもなかなか心の中まで進展しない。10回デートしてもあまりラブラブには見えないし、進展度もないように見える。しかし、逆本命がわたくしと一回でも話をするとそれだけでも外からラブラブに見えたりFRIDAY状態になったりする。これはわたくしが相手のことを引き出しているということと相手も真剣にアピールをするので話の流れがどんどん進む。話によってそれをほかの人にも話したことあるのかとか、現恋人にも同じ話をしているのかと思うときがある。そしてお互いの仲の展開までも現恋人の進展速度よりも速いのではないかと自然に思ってしまう。だからあるカップルが10回デートしないと進展しない関係でも、わたくしの場合1回だけのデートによって進展してしまうということなのである。
恋愛のスピードというのもある程度速さが必要である。何もかもが早すぎて早く終わってしまうのは恋愛偏差値の高い人にとってありがちなことであるが、あまりにも遅いのはお互いの心が進展していないのではないか。時間のない人、中身を大切にしている人にとってスピードは必要なものである。これは恋愛でも同じことが言える。この恋愛スピードを上げていく方法はこのサイトにもたくさん書いてあるので、それを組み合わせて自分のものにして誰よりも早く本命とラブラブになってもらいたい。 2005/8/30 (Tue)
異性コンプレックス コンプレックスを持ち始める頃も思春期からである。それでは異性に対し苦手になる理由は何か。
第一に、異性が周りにいるかどうかである。家庭内で一人っ子だとどうしても異性は父、母のどちらかしかいないので同世代に関する話がしづらくなる。まだ男兄弟、女姉妹のほうがお互いプライベートな話ができるので刺激になる。
第二に、学校に異性がいるのかいないのか。これは学校編でも書いてあるが、思春期になると異性を意識してしまうので同性から仲良くなろうとする。しかし、それが続くと異性の存在を忘れ、自分の行動を今の環境に作り出してしまうのである。保健心理的には異性と接したいという欲が中高生になってくると増加するというデータがでている。それなのになぜ、男子、女子校があるのかわたくしにはわからない。それでは、共学校は異性が満たされているのか。 共学校でも高2あたりから今まであまり異性と接しないでいると、異性がいるにもかかわらず、同性だけの世界、クラスの子とは全然話さないでいる。なぜかそういう人たちは無意識に異性を避け始めるのである。相手にされていないというのもあるけど、自分の世界に入り込んでいる場合の方が多い。 友達がいっしょに異性と話していても自分には関係ないって顔をする。そっぽをむく、いっしょに話をしようとしない。違う場面になっても友達の友達みたいな関係で普段は話をしない。もし急に声をかけられたりしても拒否しようとする。共学校にいても男子、女子校生活。実はそういう人が一番彼氏(彼女)がほしいなんて裏で言っている。大学はその人たちの敗者復活戦の場になり、社会人の団体行動となると異性と接する人と接しない人との差が激しい。
よく男の裸姿を見て恥ずかしがる人。下半身に関しては抵抗があるが、上半身裸の場合、小学校の時から異性といっしょにプールや海で泳いでいるのであれば、特に気にする必要性もないのではないか。太ったおなかや胸毛が気持ち悪いというのは別問題だが、ただ上半身の裸を見てオーバーに恥ずかしがる人がいる。これも異性との関わりがなかったからそういう傾向になってしまうのではないか。
高校を卒業してある程度になると今度は、男の中の男、女の中の女という人が出てくる。これは本当に男の中の世界しか知らない人、女でもそう。やはり人と接する時、いろいろ気を配ったりすることがある。ところがそういう人はそういうものが無い。だから異性関係無く同じ振り前で接したり、極端に違う接し方をしたり、人間と接する時のコントロールができていない。そういう人と接するとおまえ誰とでもそういう接し方をするのか。同性ならいいけど、異性だとそんなことできないだろうという接し方、口調がある。男しかいない、女しかいないという集まりになると、そういう風な事に慣れている人がそういう振る舞いをする。
これらの傾向により結婚率や出生率の低下にもつながっているのではないか。恋愛恐怖症は別として環境を作り出さない教育のしくみが悪いのではないか。
最後に特に高校生の場合、バンドをやりはじめる人が出てくる。それでも人と接しようとしない人もいる。その人たちは結局売れたいと思っている。それなら聞いてもらえるようにまず自分を好きになってもらわないといけない。そして誰かを好きにならないといけない。それなのに周りの人にも仲良くしない人がいる。人と接しないでどうやって売るの。「音楽(バンド)で売る」と「恋愛」はすごく密接している。これがわかっていないといくら音楽がうまくても売れない。今、世にでている音楽グループは演奏の中で愛を感じる。音楽には表現力が大事である。それとファンを思いやる人たちがバンドで成功している人たちである。
あの人は今、編
脱○○に向けて 今までやってきた自分の趣味や行いをやめて心を入れ替える時に脱○○っていうよね。例を挙げると脱オタク、ギャル、タバコ、酒が一番分かりやすいと思う。タバコや酒はやめるという意思だけできるが、脱をするということはどういうことなのか。そして完全に抜けきるにはどれくらいの覚悟がいるのか。
脱をするということはそのことに関していっさいに顧みず、新しい自分として今後の人生を送ることである。だが、今までの趣味や行いを完全に捨てるということだから、決断をするにはかなり苦しいものである。プライドも自分さえも否定することにもなるかもしれない。
実際脱をするにはどれくらいの期間がかかるのか。外見だけだったら1日でどうにかなるだろう。だが、脱というのは外見だけでなく、心の中も入れ替わると言うことだから短期間では完全に脱できない。脱したいものを完全に抜けきるには脱するものが長い間自分の中で浸透していたものであるなら、その始めた日から今までの年数が長ければ長いほど、自分が脱するものと過ごした年数と同じくらいかかるだろう。逆に何とも思わないのであるならそれほど脱したものに愛着がなかったということか。本当に脱が完了するには苦しいものを乗り越えていかないと抜けきれないのである。
脱をするというのは、外見だけでなく人間性までもが変わっていないといけない。というのは、自分の趣味や行いが外見の表面に出ているのであれば、内面も同じく浸透しているということだ。こういう考えだからこういうカッコをする。こういう考えだからそのような行動をするということだ。外見というのは人それぞれの考えから出てくるものである。わたくしが言いたいのは、こういう考えだったらまずこのカッコをしないとか、そんな行動はしないと言えるものがあると思う。例えば、公共の場や常識、マナーにしても、ここではこういう考えとして成り立つものだからマナーにそった服装で来るとか。冠婚葬祭やビジネスの世界でもそうである。それを趣味の世界に広げて、その趣味と世の中をマッチさせるのにはどういう考えでいけば認められるのか。そうやって考えていくと正しい方向にしなければならないこともあるのではないか。
恋愛でもモテたいのであれば、自分の趣味や行動の中にモテない要素があるものはすべて排除していかないとモテないのではないか。いくら外見がモテるようなカッコをしても、考え方がモテない考え方を持っていたらどこかで絶対にボロが出る。だから外見だけでなく、内面の考え方もすべて変えていかないと完全な脱にもならない。その脱する中にモテない要素の何かが入っているならそれもすべて洗い流さなくてはならない。だから恋愛偏差値の高い人はどんなときでも気を配る。恋愛は人間関係から始まるものであると分かっているから、やはりいくら街中でもある程度のカッコはしていないとだらしなく見える。こういうのは、街中を歩くには最低限の身だしなみが必要だという考えがあるからそうなる。それが発展してどこでもきちんとした身だしなみをするようになり周りからの評判も上がるということになる。別にいつでもカッコつけていると言うわけではない。つねに場を考えて対処するということだ。
脱をするというのは、今までの行動や趣味をただやめるだけでなく、その今まで趣味や行動で培ってきた考え方も変わらなくてはならない。脱するものが自分の本当にやりたいものと考え方が違うのであればそこを直していかないといけない。そうでないと完全に脱をすることはできない。脱をするには、今まで見向きもしなかった世界で何かを学び、考え、何かを得ることで、脱によって自分がどのような道を進むのか決めていくのである。そして脱したものはいい思い出として心の中にしまっておくのがよい。 2005/9/17 (Sat)
逆口説き、逆本命 これは、逆三角関係になったときの本命にされたときどうすればいいのかのである。簡単にパクるのが一番いいのだけど、実は、後味が残ってしまう。まず、自分のものにするのならば責任をとらなくてはならない。付き合っていた相手がホントに好きで付き合っていて、自分は自分の都合だけでパクるのならばヒドイことである。実力主義というならしょうがないが。急なできごとにすると、本命に移り変わった相手は本命と付き合って前がよかったなんて思ったりする。
では、どうすればいいのか。こういうのは相手が自分のことを本命だからといって不自然に動いてはならない。まず、本命がどれほど自分のことを好きでいるか確認する必要がある。それと自分のことをどれだけ知っているか確かめる。それがわかったのならば、まだ相手が知らない自分を見せる。やはり、本命も興味を示すので反応を見る。自分がすべてを見せ終わったときに本当にそれでよかったのか様子を見る。後は、タイミングである。あっちの元のカップルが冷め始めたとき、知らないところでカップルに見えたとき。本当は本命から告白してくるのが一番楽なのである。それと自分が本気に好きになったことも忘れないで。
ずいぶん遠回りなことをしていると思うが、恋愛は自然に結びつくのが一番いいのである。
わたくしは逆三角関係が10本以上あったのでツーショット=裏カップルにみられた。(FRIDAYみたいな感じ)他の人には、ところで誰と付き合っているのって聞かれていた。。でもこっちは本当に好きとはいえなかったので口説こうとは思わなかった。今では惜しいことをしたなぁとは思うけど。
S I G A 滋賀〜♪N A R A 奈良〜♪/地元主義(逆勘違い) はなわの「佐賀県」って歌知っているよね。あと「埼玉県」、「千葉県」って歌もあるの知っている?これもはなわがつくった歌なのだけど、この歌も恋愛と関係あるのだ。
アドバイスTの所で、「モー娘が売れたわけ」という題で書いたのだけど、3期メンバーが売れたわけと関係がある。その子は東京出身でデビュー当時は中学生で金髪だった。格好もそうだが、出身地に注目したい。ふつう、中学生があんな格好していたらただの不良にみえる。だが、彼女は中学の時点で当時の日本の最先端ファッションを覚えてしまったのである。日本の若者ファッションの中心は澁谷、新宿、原宿である。彼女は、東京出身なのですぐに遊びに行こうと思えばいけるのである。日本の最先端ファッションと自分の音楽才能をあわせれば完璧である。それとまだ若いということもあってプラスになっていた。 レベルUPアドバイスT
これとはなわの歌と恋愛となにが関係あるか。それは生活環境のことである。高校生になるといろいろなファッションをし始める。雑誌を読んだり、遊びに行ったり。そういうことで人間はかっこよくなったりかわいくなったりする。学校でかっこつけるとこういうことを言われる。「かっこつけてんじゃねぇーよ。おまえ、勘違いしてんじゃねぇーよ。」って言われる。それははっきりいって自分が間違っているのではない。言ってくる方が間違っているのである。そういう人は今、日本で何が起きているのかわかっていないのである。流行を知らない、自分の周りのことしか知らないのである。頭の中身が昔で言う、「鎖国」状態だということだが。こういう人のこと地元主義(逆勘違い)と呼んでいる。
学校(クラス)で一番モテる=どこでもモテるとは限らない。モテる人はたまたまその地元の合っていたりしているだけである。だから学校時代はモテたとか言う人はたまたまそこで適合していたというだけである。だから他の環境へ行ったら全然モテないということはあるだろう。それも同じ事である。
逆に、学校(クラス)で目立たなかったからといって他のところへ行ってもそうとは限らない。たまたまその環境が地元主義だったりするといくら力があっても発揮できないことがある。そういう人が他の環境(最先端の場所)へ行くとモテたりする。これは前の話と全く逆で地元が地元主義だらけだったから浮いていたということである。では、その人がファッションを取り入れて彼氏、彼女ができたらどうであろうか。これは大成功である。ファッションを取り入れることで視野が広がったのならばいいことである。このことは他のところに詳しく書いた。
自分のファッションについて説明できないのはかっこつけ。ちゃんとファッションにのっとってやっている人は成功者。恋愛偏差値もUP。もし、自分のファッションでなにかいわれたらまず、言ってきた人がどういう人か見極めて判断しろ。つまらない人に何か言われたら言ってやれ、「地元の事しか知らないくせ(何も知らないくせに)におまえはそれしか言えないのか。」って。
はなわのうたに戻ろう。この「埼玉県」、「千葉県」という詩はこのことに関しておもしろいことをいっている。「♪〜埼玉の人が東京出てきても池袋止まり。千葉の人が東京出てきても錦糸町止まり〜♪。」別に埼玉県と千葉県の人をバカにしてるわけではないので怒らないでください。わたくしも大宮に住み、勤務したことがあります。わたくしの父も千葉の大学で教授をしています。
これは、何が言いたいのかというと埼玉、千葉とは限らず、日本で今流行っていることを知らず、「かっこつけてんじゃねぇー。おまえ、勘違いしてんじゃねぇー。」とか言っているんじゃなねぇーよ。自分の存在力がなくなるから言ってるだけだろ。たいていそういうやつは束になって言って来る。力のない。地元のことしか知らない奴らである。もし地元主義がえらそうにしていても全国に行けばそんなやつたくさんいると言いたい。例えば、高校のとき少しスポーツができたって有名大学の体育会系に行けばそんなやつたくさんいる。大学生なんて常識がないなんていっている地元主義はそういうことを知らない。
その分、地元主義は自分から伸びようともしないし限界を超えて頑張ろうともしない。というより伸ばし方というのを知らない。だから生活も何となく生きていればいいと思っており、ある程度のことまでいったらそれ以上の努力はしない。日々の努力をしていないというべきか。+αというのをしないのである。
付け加えとして、今世界でもIT化がどんどん進んでいる。その分デジタル・デバイド(ITにアクセスできる人とできない人の間での格差の問題)が起きている。地元主義の中でもパソコンの「パ」の字もわからない人がいる。たとえ田舎に住んでいたとしてもネットを使用しているかしていないかで世の中の距離というのがグーンと縮まる。パソコンなしでも生きてはいけるが、全く知らない、触ったことがない、興味がないとなると時代に適応していないということだ。電車男やライブドアのことだってパソコンのことが分からないと何を言っているのかさっぱり分からない。そういう状態で世の中を語るのはおかしい。
地元主義は結局どこかで矛盾しているところがあります。それは酒を飲んだときに本音を言ってみたり、いつかビックになるんだと夢を抱いたり。自分の本当の欲に満たされている人はいません。結局、努力もしないでどこかで逆消去的な生活しているのです。
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地元主義の脱出/恋愛偏差値50以上へ 小、中学校は学区内の集まりとあって、クラスの中で人間関係が固定される。その中でいじめなどが起きて不登校になったりしてもう人生の棒を振っているような気がする。それはすごく深刻な問題だ。自分はいいことをしていても周りと違うことをやってれば仲間はずれにされるしいじめられる。小、中学校はクラスの中で考えが一本化される。本当にそれでいいのか。人間いろんな人がいるのにたまたま威張る人がいてその人の言うことを聞かないと何かされる。では、その人が間違っていることをしていたらどうであろうか。
仕事場の中でもよくわからないことがある。仕事場の中でいじめられて退職したりする。そこも学校クラス内の延長みたいなところだけど。
小、中学校は人間関係が狭いし、地元の特徴の度が高すぎる。本当はいろいろな人間がいるのにつまらないことで揉めたりする。だから人間はこのクラスだけではなくいろいろな人がいるということを知っていただきたい。それが一つ目の地元主義の脱出である。
二つ目は、どういう格好が自分を表現してくれるか考えることである。本当に周りで威張っているやつは本当に正しいことをしているのか。正しいことをしていないのならば、自分で正しいことをすればいい。それはカッコだけではなく勉強もする。自分のレベルを上げることである。特に中学から今後の進路も関わってくるのでなおさらだ。これも前に書いてあったよね。
まず、その二つをすれば、自分の視野が広がり人間関係も広がる。たいてい、クラスで一番モテるなんて人は頭がいい。
市立の小、中学校に行っていればクラスの中で大学に行った人はなんて調べると10人以下である。学歴主義ではないが考えてみるとあんなやつの言いなりになっていたのと思う。地元でモテててた人なんて所詮地元でストップする。理想に出会えたかというとそうではない。
前にも書いたが、学校(クラス)で一番モテる=どこでもモテるとは限らない。学校(クラス)で目立たなかったからといって他のところへ行ってもそうとは限らない。芸能人やグラビアアイドル、モー娘メンバーだってクラス1モテる(かわいい)とは限らない。というより学校ではすべての才能は見せられないが。
でも、人間力、行動力、考えがしっかりしている人はどこでもモテる。顔も重要だけど。もし小、中学校のとき好きだった人も地元主義になっていたらとんでもない顔になっているだろう。考え方もすべてやっぱり地元主義だったという事がわかる。同窓会も行ってみたら何なんだこの人たちはと思うときがあるだろう。それは同級生の顔が変わっていないか、どう見ても町にはないここだけの世界にしかない感覚を持つだろう。
就職して車で通勤している人。車じゃないと不便な場所にあるなら別だが、バス、電車に乗って仕事に行ってみよう。もしかしたら理想の人が乗っているかもしれない。それとも学校で好きだった人、同級生が乗っているかもしれない。同級生だったら話をして地元外の人間関係が広がるかもしれない。車だとどうしても一人である。運転中、理想のタイプを見つけたからといって声はかけられない。
結論は、早くからいろいろな人間、考え方があるということを知ることである。一般的に正しいことをしていれば、自分の理想に近づくのである。地元主義の脱出をした人とそうでない人の違いを「あの人は今」シリーズで書いたのでそこをみて理想恋愛をしているかしていないか判断してほしい。
体格コンプレックスの脱出へ みなさん、コンプレックスで悩んでいる人も多いと思う。だが、ここでいうコンプレックスはどうしようとも直せないコンプレックスの話である。体重ははっきり言ってやせることができるので対象外。主に身長が高い、低いに関してこれはどうしようもないことである。
例えば背の高い女。では身長を縮ませることができるのか、いやできない。それによって恋愛対象が狭くなる恐れがある。恋愛は体格ではない。心である。では、自分の理想が見つかったが自分の体格と合っていない。それならあきらめるのか。普通だとあきらめてしまう。ではどうすればいいのか。
コンプレックスなんて自分が決めたものではない。周りが「恋愛とは男が〜で、女が〜で。」なんて決めつけているのである。恋愛に体格の決まりはない。好きなら好きと言っていい。交際していい。愛し合っていい。周りに関係なく素直になれることが恋愛偏差値の上昇である。
自分より背の高い女は興味がないという人はいるが、全員がそうではない。ただ好意を持っている人の比率が低いだけである。その逆もあり得る。
芸能人では出○が結婚した。あの人はコンプレックスだらけである。ところが、素直に気持ちを伝え成功した(やらせだと思うが結婚だからねぇ〜)。
しかし、現実は自分と比べて何かマニュアル的なものに引っかかっている誰かを好きになっても、周りの男が「あいつに惚れるなら俺と付き合え」なんていわれて好きな人との距離が遠くなったりする。そこをうまく乗り越えて好きな人をアタックすることが、体格コンプレックスの脱出である。もちろん恋愛偏差値も60を超えるのである。
遠距離恋愛ってあるけど・・・ 恋愛のパターンとして遠距離恋愛というものがあるが、これは恋愛偏差値と関係はない。遠距離恋愛というものは、交際関係のそれぞれの居場所の距離を表すものであって恋愛能力と関係はない。たまたま出会って、住んでいる場所を聞いたら遠かっただけである。
恋愛偏差値から見て遠距離恋愛の最大の欠点は時々しか会えないことである。会えないという事はお互いの生活が違うということだ。生活の中でいろいろな出来事がある中そこでもしかしたら新しい出会いがあるかもしれない。そうしたらどうするであろうか。
最近、便利になって遠くにいても身近な存在になっているように感じる。会う機会が少なくても電話や今ではメールもできる。しかし、新しい出会いがあって悩んでいても遠距離の相手に相談するであろうか。おそらくしないであろう。浮気でもばれバレるまで言わない。相談するとしたら別れ話であろう。そういうときに会って他の人といたらどうであろうか。信じていたのに、と思うであろう。だから離れている分、何が起きているかわからない。
遠距離恋愛でも、まず相手がどの状態かによって決まるであろう。運命の人だと思っても本当にそうかわからないし、この先どうなるかわからない。もし相手が人と接するようなこと(仕事)をしていれば、もしかしたら方向が違ってくるかもしれない。それと生活が違うので最初は考えが合っていてもどこかで価値観が変わってしまうことがあるだろう。会う日が来てデートをしたら感覚が変わっているかもしれない。同級生でももし、どちらかが遠くに行ってしまって休みの日に実家に帰ってきて久しぶりに会ったとき、なんか違っていることはないか。また、職種が違うだけでも価値観が変わって、何だあんなやつ、と思うときはないか。
遠距離恋愛というものは離れ離れの中で展開しているのでお互いの中によって続くものと続かないものがある。別に遠距離恋愛を否定しているわけではありません。恋愛偏差値のテーマにならないだけです。でも、恋愛は身近なところからできるのが一番いい。遠距離恋愛をしている人はがんばってください。
嫉妬について わたくしは嫉妬についてはあまり考えたことがないのだが、恋愛により嫉妬する人は多い。自分の好きな人が他の人と接していたとか、誰かをうらやましいと思ったりする人がいる。
ここのHPでいくと逆三角関係がいい例だろう。交際しているにもかかわらず、他に本命がいてそのことを知っている上で交際をしているのだから。もう一つは、異性の友達に恋愛相談を持ちかけたら、あんなやつを好きになるならオレと付き合えと言っている男がそうである。とくに体格コンプレックスから好きになった人だと特にそうである。
嫉妬をするとその状態として、片思い状態だと男は行動に移り、女は心の中で溜めている傾向が多いだろう。そしてどこかで復讐しようと思い感情を高ぶらせていくだろう。男は嫉妬した人に何かをするのではなく異性を奪い取ろうとするが、女の方は好きな人の方ではなく、嫉妬した方の人に何かをすることが多いだろう。
交際状態だと交際相手に直接何かをすることが多い。交際相手が二股や浮気をして嫉妬をすると直接被害を与えるのは同性の方ではない。交際していると前では逆の話になったりする。
よく嫉妬を中心としたドラマが放送している時があるが、あれを見たら本当に修羅場だらけである。実際はあんなに激しくないが、嫉妬をするととんでもないことをする人がいる。ストーカーもその一部である。嫉妬により犯罪行為へ動く人もいる。
わたくしは恋愛の嫉妬についてあまり考えないというのは、完全実力主義で恋愛を展開しているので、何かがあったらそれよりもっといい方法で接することを考えていく。だから人をうらやましいとはあまり考えたことはない。自分がそうなるように力をつけていけばいいことだし、自分のペースで何とかなると思っている。わたくしに気のあった人は、もし自分以外の人が他の異性の人とわたくしとで仲良くしていたら、嫉妬をするというよりその人に状況を聞いている人が多かった。恋愛の敵、ライバル同士になるというより、仲良くしながら個人個人が戦略を練ってわたくしに接しようとしていた。
嫉妬をすると密かに酒を飲みながら語っている人が多いかもしれない。それだけならいいが、酔っ払って騒ぎを起こしてしまいとんでもないことになったら意味がない。人生いろいろとあると思うが、恋愛でもうまく感情をコントロールできるようにしてもらいたい。 2005/3/18 (Fri)
友達以上恋人未満 友達以上恋人未満ってあるけど恋愛偏差値から見ると「なんだその言葉は」と思う。
実際恋愛偏差値においては逆三角関係、逆本命、契約付き合いというものがある。逆から見ると付き合っているけどやっていることは友達レベル、遊び付き合いという恋人関係だけど友達感覚になっているカップルもある。
では、恋愛偏差値から説いた人間関係はどうであろうか。それぞれ友達になったとしても本命のいる人は本命に対し愛情をアピールすると思うし、友達だから友達らしい振る舞いをしないと思う。それで相手側と少しでも怪しいシーンがあったらそれでは友達以上でもなく恋人未満でもない。半分告白して付き合っていると言われてもおかしくない。
あるカップルがいたとしても最初からラブラブに見えず、どう見ても意思の疎通ができていないように思える。そうだともう破局寸前のカップルなら別だが、普通に付き合ってそうなら恋人同士なのに恋人未満と見えてしまう。
「FRYDAY」に掲載される有名人の恋愛報道があるが、いくら当事者が仲のいい友達ですといったとしても恋人同士に見えるから報道されてしまうのである。これに友達以上恋人未満と言う言葉が使えるか。使えないだろう。
わたくしの高校のクラスはお互い異性との仲が良すぎてその中からカップルが生まれることはなかった。恋愛という観点も持っている人が少なかった。わたくしはその輪の中に完全に入っていなかったので実際はどうだったか知らないが、いくら仲のいい友達でもできている部分があるのではないかと思った。しかし、わたくしはこの人間関係状況を意識して友達という枠の中からうまく恋愛に結びつく方法を見つけた。もともとわたくしの恋愛偏差値が高いということでこの関係を最大限に引き伸ばすことができた。だからお互い友達以上恋人未満なんて思わない。いつでも友達関係で愛を育てることができたのである。
友達以上恋人未満というのはそこで関係が止まってしまうのである。だから恋人になることもないし、仲が悪くなるわけでもない。恋愛偏差値からの動きはどういう状況であろうと常に恋愛へ走って行くのである。だから恋愛偏差値からの動きは友達以上恋人未満というものは存在しない。
なぜブスになるのか〜逆(内面)プライド ここでは救済すべきテーマとしよう。なぜブスになるのか、これは先に結論を言うと生活の姿勢からブスになる傾向がある。生まれつきブスということはおいといて別に、かわいいからってブスになることもある。朝、昼、夜、毎日刺激のある生活をしているのか。人と違った努力をしているのか。どういうことなのか。
逆(内面)プライドとは、自分を押し通そうというものはあるが、そのことに反発されるとコンプレックスを持ち始めることである。気持ち的なプライドがあってもどうせ私はこうだからみたいな事を思って止めてしまい最初から諦めてしまう。自分の意志を突き通しているのにもかかわらず、もう一つ持っているプライドから元のプライドを静めてしまうのである。
人間、かわいくなろうとかわいくなるしカッコよくなろうとすればカッコよくなるし努力すればどうにかなる部分もある。このことに関しては他のテーマでも部分部分書いてある。では、もしブスといわれそうな人はどういうことをしているのか。人々を比べてみると面白い発見がある。そんなことしているからブスと言われるのだよってことを本当にしている。
ではどういうことをしているのか。例えば、モノの食べ方や歩き方、モノの取り方にすごく強引なところがある。簡単に言うと自己中ということである。。そういうプライドはあるのだけど逆(内面)プライドというものはない。
その逆プライドに値するのは顔、体格、性格である。だから自分のプライドを突きつけたとしてもこの顔だし、体格だし、性格だしと思う。例えば、もし好きな人ができてあの人は絶対譲らないといってもどうせ告白してもこの顔じゃ振られるしと思っている。外面的なプライドになると強いが内面的になると弱がりをいっている。結局、矛盾している部分があるし自分の見える枠からモノを言うことが多い。だから弱いものを自分で作っているため復讐というものはまずない。
ブスといわれそうな人は本当の自分を知らないのである。逆プライドはそうなってしまった後にでてくるコンプレックスみたいなものだが、そうなる前に自分で自分のことを理解していなかったからこうなったということが多い。自分の性格、長所、短所どう生きていけばいいか自分で分析していないことが多い。
他のテーマでも上げた通り、進路選択や環境、自分がそこにあっているかどうか見極めるだけでもずいぶん違う。意識していないとその環境に合った顔になってしまうしいつのまにか取り返しのつかないことになる。そうなってしまうと自分で自分を狭い方向に導いてしまいブスといわれるような性格にもなってしまう。結局、自分に努力していないということといえるのであるが。子供のころすごく可愛かった地元主義も同じ理由でブスになることがある。
努力して大学へ行ったけどブスといわれるのは、学問に関しての努力はしたかもしれないが、あなたはその学力のことだけしか考えていない。一流大学でも顔やスタイルがいい人、美しい化粧ができる人もいる。それに比べてブスだと高学歴でも何か損をしているように見える。
ブスだからといって整形に走り、化粧をたくさんするのも見苦しい。自己分析するだけで自分はどこを直していけばいいのかわかる。自然に直そうとする方法も他のテーマに書いてあるし、必ずどこかに自分で何とかなるところもある。
眼鏡をつけている人が、眼鏡をはずすと目つきや表情が全然違う人がいる。これは眼鏡をつけた状態での顔に慣れてしまい、はずした状態での顔の訓練をしていない。これは子供のころからずっと眼鏡をつけている人に多い。だから眼鏡ブスを治そうと眼鏡をはずしてコンタクトにし、心機一転イメージを変えるといってもあまり効果がなかったり、かえって逆効果になることもある。理由は、眼鏡をはずした状態での顔の訓練をしていなかったので、コンタクトでも顔が決まらないということがある。だから眼鏡をつけてもつけなくても、顔の訓練をしてどっちもかっこよく見えるようにしておくのがベストである。
逆プライドは、オタクのアキバ系や人でも同じことが言える。恋をしたとしても自分はこうだからと言って諦める。それでも自分でオタクやアキバ系のことを自覚している。だったら最初から不利になるような趣味や行動に走らない方がいいような気がする。人の好みは自由だが、もしその趣味等をやるとき実際どうなっていくのかイメージして、これはやばいと思ったらやめればいいし、やめれないなら見えないところで隠し通せばいい。
直らないものをコンプレックス(背が高い、低い)になってしまうのはしょうがないが、ブスに関しては直すことはできる。時間はかかるがまず自分を分析して意識するようになれば自然に顔も良くなる。どうしてこういう行動をしていたのだろうとかわかるようになれば次第に良くなっていくと思う。しかし、実際何も変わっていないのにプライドを突きつけ、偉そうなことを言っているのはただのバカである。そうなると手遅れである。普通、人間変わるとおとなしくなるのだが。
実力主義〜人間関係から恋愛まで〜 いろいろな環境の中で正しいことをしているのに間違ってるとされ、勘違いにされてしまうことあるよね。では、本当に正しいことをしている人、力がある人が力を出すと周りはどうなってしまうのか。世の中いろいろな人がいるから成り立っている。けれどどうしても威張っている人がいるとその人の言うとおりみたいなことになってしまうよね。恋愛の場合、その例としてあげたのが、地元主義である。では、その人たちが威張れなくなったときどうなるのか。恋愛も人間力、人間関係の一つなのでまずは人間力に関して最初に説明する。
小学校から大学まで学校に行っている以上は、ふつうに勉強してテストでいい点を取ることが絶対的に正しいと言われていることだよね。中学までは義務教育だが、高校からは義務ではなくなる。ということは、高校からは勉強するために行っていると言うことだよね。だから勉強しなくていいというものはない。仕事場でも勤めている以上仕事をしなくてはならない。だからサボっていたらすぐにクビになるし、出世にも響く。そういうところにも学校に入ったから、就職したからそれでいいという人がいる。別に出世をしろとは言っていない。ただ何かに所属した以上自分に何かを身につけろということだ。
では、それでもどこかに入っても何もしない、がんばらない人はどうなってしまうのか。
学校の場合、もし遊び人(チャラ男)とまじめ人(本当に実力のある人)がいたとする。ふつうだと遊び人が威張って勉強したい人を邪魔しようとする。ところが、勉強することに対しての実力主義になってしまうとどうなるか。例えば、大学になると席は自由になる。必ず遊び人は授業に遅れてきて後ろの方に座り教科書も何も持ってこないで寝ているだけ。では、後ろが込んでいて遅れてきた遊び人に前空いているよと言うと勘弁してよと言うか、しょうがなく前に言って後に教室から出て行ってしまう。そういう人は元々自分でわかっている部分があって、結局勉強したくないから遅れて来て後ろにいく。いずれは、もう授業に出てこなくなるだろう。
仕事場でも遊び人だったら、例えば専門学校いって専門職を極めて就職するのだが、専門学校でも卒業さえできれば何とかなると思い、実際就職しても仕事についていけなくなり、辞めてしまったりもともと自分の専門だったものから外されてしまい出世に遅れたりする。大学生でも何もしていないとそうなる。
そういう人たちは、結局正しいことをやらないことにより、自分の居場所がなくなり消えていってしまう。そしてそういう人たちで集まってグダグダ言っているのだけど。ヤンキーみたいなものがそういう例である。あれも正しいと思っても自分ではできないからグレたり、非行にはしったりする。元々のやるべきことをやっていないので、本当に実力がある人とぶつかると負けてしまう。そうしてどんどん自分の枠に狭まっていくのだけど。
人間として力があれば、自分の力が発揮されるようにどこでもいいから行くと思う。恋愛でも恋愛力によっていける場所、いけない場所もある。そこをうまく使うのも恋愛偏差値の高い人だが。
ここでは恋愛に関してのHPなので恋愛的な実力主義に関して最後に述べるが、やはりまじめでコツコツと努力している人が生き残っていくのである。「あの人今、」でも書いたが、恋がしたいなら何をすれば理想に近づくのか。その中で何もしない中で人間を語っていたりしていたらそれこそ勘違いである。わたくしも高校の時は逆勘違い(地元主義)ばっかりだったが、居場所がなくなった人は辞めていったし、わたくしが本気を出したとき不登校になってしまう人がいそうな感じだった。だから常に正しいことをして努力をしていれば、力のない人は消えていき、自分と同じ意見の人たちと一緒に恋愛も理想に近づいていくのである。
シブヤ系、アキバ系〜見えないところの恋愛身分制 人の外見を表現する時、ある場所等にいそうな人を〜系ということがあるよね。東京にある場所のファッション等としての表現するその代表格がシブヤ系だったりアキバ系だったりするよね。これが恋愛偏差値においてどのような地位にいるのか検証する。
シブヤ系は渋谷だけではなく、その周りである原宿、新宿でも流行っているファションは日本の最先端の街でありファションである。だからそのファションをしていればカッコいいと思われるし、かわいいと思われる。モー娘であったゴマキがその例でもある。それだけでも恋愛偏差値が高いように思われる。しかし、実際にそれらの街へ行ってもそこで遊んでいる人は人間性もいいとは限らない。ナンパをしている人、麻薬、援助交際。悪いことばっかりしている人もいる。それだと恋愛偏差値というのは対象外になる。だからいいファションをしてそれらの街を行っただけでは恋愛偏差値が上がるとは限らない。だが、これらのファッションをして街を歩かないと恋愛偏差値の上昇にはつながらない。人間性でいったら東京出身の毎日遊んでいるような人より、横浜、大宮あたりで時々来るような人のほうが恋愛偏差値は高い。高校生でも東京の人より東京の周りに住んでいる人のほうがしっかりとしたファッションをしている人が多い。東京の人だとどうしてもカッコ重視になってしまう。だからいろいろなことを踏まえてうまく活用していけばいいと思う。
アキバ系というのは場所が秋葉原のこと。「電車男」を見ればすぐわかる。ここには電化製品店がたくさん並んでおり冷蔵庫、テレビ、洗濯機、パソコン等を買うには一番いいところである。ただ、秋葉原で冷蔵庫等を買いに行くだけならいいが、アキバ系と言うのは、電化製品があるということはテレビゲームも売っている。そこでゲームをしに毎日通ってそうな人のことを言う。特に出会い系ゲームをしに行く人が多い。いわゆるゲーマーでもあり、非現実的な思考を持っている人である。そして人間性はというと全くのダメ人間である。周りに溶け込めず、現実逃避をしている人が多い。他のところで上げた「変わっている人って」と言うところにも当てはまる。だから恋愛偏差値も測定不可能ということだ。それでも本当はモテたいと思っている。恋をしたとしてもマンガのキャラや現実でもロリコン状態であろう。「萌え〜」とかいってよくわからないフィギュアも持っている。ただ、萌えの経済効果は888億円ともいわれている。可愛い子を見ると普段見られていないので簡単に惚れてしまうのである。結局、好きになる人は誰もが惚れそうな人なのである。大学生のアキバ系だとパソコンを使う時、絶対に反現実的なサイトを開く。そしてキモイ顔でゲラゲラと笑いながら画面を見てとても気持ち悪い光景を見る。メイド喫茶やマンガ喫茶でもそうである。そして一人の部屋でコソコソとゲームか意味のわからないことをやっているのであろう。地元主義でもアキバ系は多い。力がなく反現実的な生活をしているので自然にアキバ系になってしまうのであろう。しかし、実際に秋葉原へ行く力はない。最近では、「電車男」が世間に流れ、アキバ系がますます注目されるようになった。そして彼らは「A BOY」と言われているらしい。アキバ系の人は渋谷をアウェイと思っている。やはり自分でちゃんと認識をしており、どういう状況に置かれているかわかっている。つくばエクスプレスが開通されるのでアキバ系の進出が増えるだろう。
渋谷系はバカというイメージがあって頭が悪い人たちと思われがちだが、でも渋谷系がやっていることは人間の欲望の頂点になるようなことをしているので、頭のいい人がファッションを流行らせようと立ち上がれば日本中に革命を起こすことはできる。ところが、アキバ系は現実逃避をした中で活動しているので、いくら流行らせようと頭のいい人が立ち上がっても知恵の供給をする人は普通の人たちである。だからアキバ系の経済効果があっても日本全体には影響しない。存在自体がバカにされているのでいくら束になっても相手にされないのである。そして個々の力も低いので結局は押しつぶされてしまうのである。渋谷系は最先端になる努力をしているので努力をすればかっこよくなるが、アキバ系は非現実思考なので努力してもかっこよくには絶対にならない。現在は身分制というものはないが、三角ピラミッドを作れば、渋谷系は一番頂点の位置にあり、アキバ系は一番下の位置に属しているといってもいいだろう。なぜかというとオタクやアキバ系が普通の人と恋愛がらみにより接するようなことになると、住む世界が違うとか、付き合える身分でないとか言っているのだから。 用語解説図
〜系はある程度の年になるといろいろな分野に分かれる。高3あたりになるとその差がはっきりしてくる。その理由は「高校生」のところでも書いてある。→学校編
そこで現実の世界で暮らすか、一生反現実的な世界になるのか決まってくるのであろう。ここではシブヤ系は現実、アキバ系は非現実となるわけだが。実際恋愛において同じ人間でも比べても比べることはできない。だから恋愛話を非現実的なアキバ系に語っても意味がないのである。
最後に恋愛とは関係のないことだが、新橋系というのはサラリーマンのことである。新橋はサラリーマンの働き場である。若者はいなく、ほとんどがスーツを着た人たちが歩いているところである。だからまったく別の雰囲気がある。
場所については「ヨドバシ地図」で確認してください。行ってみたらよく分かると思います。 →ヨドバシ地図
倦怠期ってあるが、、、経験しないためにも 倦怠期って交際期間が6ヶ月ぐらいから〜1年前後たってなにかマンネリ化したときにいうよね。お互いつまらなくなったというか、原因は何だろう。
恋愛による交際でも何でも人間関係は、相手を知るところから始まるよね。恋愛において本当に人を知るには最短でも3ヶ月かかる。週に4回以上で1日5時間以上いてもそれくらいはかかる。まず、倦怠期になる前に相手を知るということができているのであろうか。
おそらく倦怠期になる一つの理由としてそれぞれのことをまだ理解していなく、知らないところですれ違いが起きているのではないか。まだ相手のすべてを理解していない上ですべてが当たり前になってしまい、その限られた表現の中で自分を出すことができなくなってしまったのではないか。
もう一つの理由として交際後も自分が交際等によって成長していないということではないか。もう今の現状で満足しているということか。将来が決まっているのであればいいが、おそらくふつうの交際としてお付き合いをしていると思う。それなのにここで満足というとなると矛盾が起こる。満足=終わりということになってしまう。好きになった人に終わりというものはあるのか。できればずっといたいであろう。だから一時的な満足はいいが、一時的な満足を得た後、今度は一緒にいられるような努力をしなければならない。そのために自分を成長させなければならない。
おそらく自分を表現する時間と交際時間が比例しなくなるとマンネリ化してしまうのであろう。自分を表現するものはたくさんある。人間は喜怒哀楽というものがある。まずそれを全部表現したか。するだけでも1ヶ月以上はかかるであろう。そして長い期間続くといろいろな相手の光景を見るだろう。それをしっかり見てちゃんと自分も考えたか。人間すべていいことをするとは限らない。悪いことだって度もあるけど、1回ぐらいやってもすぐに嫌いになるようなことだったか。それだって長い期間みないとわからない。
交際をし始めて時間とともに自分を最大限表現しながら交際していけば、早い時期の倦怠期なんてなくなると思う。そして長い期間うまくいくと特に大人は違う方向にも進むこともある。同時に長い期間つまらなくなると別れることもすぐに決断できるであろう。だから交際のはじめからお互いのことをよく理解するような付き合い方をすれば、倦怠期なんて飛び越えていい方向へ行くであろう。
マニュアル恋愛主義 恋愛偏差値30以下 これはこのサイトでいうと地元主義や高校生、大学生の一部に当てはまるのだが、生活していく上でただ流れだけで生きているような人もことを言う。しかし、それだけでは恋愛偏差値は上がらない。ではどういうことなのか。
人間生きていくうえでのサイクルとして、小学校→中学校→高校→大学もしくは就職→結婚→定年→老後という流れであるが、ただ生きるという意味だけで生活している人もいる。人生一度しかないのだからそれだけではつまらない。その中で恋愛をしたりするものなのだが、その恋愛状態自体もマニュアル状態で生活している人もいる。
マニュアル主義だと例えば、高校生になったから恋人がほしい。これは人と好きになるということではなくて、高校生という立場からそういうことを言っているのではないか。それでナンパに走る人がいる。よく、仲間がナンパをしていて一緒にやろうよと言われる。それを拒否すると女に興味がないのと言われる。これはナンパを拒否するのがおかしいのではなくてナンパをする人が言う「女に興味がないの。」ということに矛盾がある。ナンパの定義は他のところに書いてあるが、ナンパをしている人から見るとただこの年になって恋人がいないのはおかしいとか、異性に興味がないのはおかしいと言うかもしれないが、恋愛(出会い)=ナンパ、高校生以上になるとナンパができるというマニュアル状態でナンパをしているのではないか。だから恋人がほしい(異性と接したい)=ナンパというマニュアルができてしまう。ナンパじゃないと異性と接することができないとか、出会いがないとか。それでナンパを拒否するような人はおかしいという流れができてしまうのではないか。しかし、普通に暮らしていても異性と接することはできるし、恋人も自然にできたりする。そんなことよりナンパの方が手っ取り早いと思っているのではないか。それではいくらナンパのプロになったとしても恋愛偏差値はUPしない。(いつまでたっても49以下)
大学生でもそうである。これは大学生の方にも書いているが、どうみてもマニュアルで生きているのではないかという人がいる。そこで大学生だから恋人がいないとダメとか、恥ずかしいとか思う人がいるのではないか。それでいちいち無理をしている人。ただマニュアル通りで生活しているのでもし有名なスポットへ行ったとしても本当に好きで行ったのか。ただ周りが行っているからディズニーランドへ行くとか。その場所を楽しみに行っているのではなく、ただの流れだけでその場所へ行っているという人が多い。それでは意味がない。 学校編
もう一つに、何もしていないという人もいる。これではまだ流れだけであるところへ行っているという方がましになるのだが、興味とは別に生活において必要のないものだから行かないとか、恋愛をしないとか、何も知らないから何もできないということもある。大学生でも地元主義でもどちらも当てはまるし、それを実行しようとも思わない。ただマニュアル通りで生きているので自分には必要のない、意味がないと解釈をするのである。
結婚でも人生マニュアルのなかとして結婚している人もいるのではないか。そうなると恋愛偏差値も対象外となるわけだが。学校を卒業して若い人たちが多い。学校卒業=結婚みたいなものがあってただなんとなく生きているという人。もっといろいろな恋愛ややりたいことがあるだろうといいたい。
やはり恋愛偏差値をUPさせるには、ただ生きているだけでは上昇しない。1回ぐらいは親に反抗し、生きている中で失敗したり、どん底になったり。ただ成功法だけで生きていたらつまらない。一度しかない人生なのだからこの年でないとできないというものもあるだろう。そのためにマニュアル通り生きていくのではなく、人生遠回りしてもいいから少し崩した生き方をしていかないと恋愛偏差値もUPしない。 2005/2/18 (Fri)
モテ期っていったい??? よく人生の中で3回モテる時があるという人がいるが、わたくしにはよくわからない。そしたら人生の中でだれでも3回はモテるということか。それは違うと思う。やはり恋愛をするにあたって何かを持っている人でないと恋愛もできないと思う。
何かを持っているというのは何でもいい。それが特技や物でなくても人間性ややさしさも一つの特徴である。社会では直接評価されなくても人間何か見えないもので何かを持っていると思う。例えば、おまえらは人間のクズだと言われたとしても本当のその人のやさしさ等があると思う。ただそれが表で評価されていないだけである。それもないとなると問題だが。
おそらくモテ期が3回というのは、小学校の時、高または大学、そして社会人の時ということであろう。でもそれがモテたというのはたまたまその時の人間関係がよかっただけではないか。実力でいってしまうと、まず回数とか期間なんて関係ない。小学生でモテたからどうとはないし、大学でモテないとかは関係ない。実力といっても相手側の力もないとその人の力さえも計れないし、高校までは地元主義という傾向もある。そして高校を過ぎると完全にそれぞれ枠が固まってしまうので本当の評価というのもできない。
人生のピークというのはある。ここでは生きている上でのピークではなく、どの時に一番自分が楽しかったということ。それなら3回に分けられる。一つは小学生のころが一番輝いていたということ。社会人になっても案外小学生の時が一番の実績があるという人がいるのではないか。実はスポーツで全国大会に出ていたが今はそれと無縁なことをやっているとか。二つ目は高校、または大学生活のとき。高卒なら高校、大卒なら大学となるわけだが、振り返ってみたらそのときが一番楽しかったと思う人がいるのではないか。または小学校のときと同じく、甲子園に出場してそのときが一番の思い出とか。三つ目は、と言いたいところだが、仕事と遊びどっちが楽しいかというとやはり遊びであろう。社会人になると遊びを主に生活をすることは難しい。生活上は一番ピークでも本当の楽しさはないであろう。しかし仕事が楽しいという人はいる。
何がいいたいかと言うと、おそらく一般的なモテ期というのはその3つの中のどれかに当てはまっているのではないか。3回あるということではなくてその中の1回が自分のモテ期だったのではないか。生活していて「もうすぐモテ期が来る!」なんてあるのか。環境が変わったからといってモテるというのか。そうでないだろう。
恋愛の実力があれば、どこへ行ってもどこかで気持ちを隠されていることはあるだろう。恋愛だけでなく、力があるというのは自分で作り出すだけでなく、相手を引き寄せるということもある。だから環境が変わって何もないところでも力があれば、自分から積極的に求めなくてもあっちからくる場合もある。しかし、本来の自分の最低限の行いはしておかないといけないが。モテ期なんていうのは存在しない。モテたいならいつでもどこでもモテるように力をつけておくことが重要である。 2005/2/27 (Sun)
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